[11/01/07]
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■[恵比壽塵報]109号:謹賀新年2011
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皆さま、あけましておめでとうございます。
本年も、思い出したら発行させていただきます。
昨年は、本紙『恵比壽塵報』の宣伝のつもりでブログ『別冊 恵比塵』を発
刊致しました。その『別冊 恵比塵』の宣伝のつもりで、Twitterを開始致し
ました。致しましたところ、安直Twitterに引きずり込まれて、ついつい本体
であるところの『恵比壽塵報』にまで戻れない事態が続いてしまいました。
今年の年賀状を転記して、新年のご挨拶に代えさせていただきます。
既に現物でお読みの方には以下は重複発表となりますこと、誠にもって申し
訳ありません。
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謹賀新年
あけましておめでとうございます。
ある時家人が体重計を買ってきました。体重は70Kg
ほどありました。毎日乗ってみた。脂分とかなんとかか
んとかとかの数字や「燃えやすい/標準/燃えにくい」
とか「やせ/標準/肥満」とかが表示され、おまけに体
内年齢というモノが表示される。各種数字が表示される
が覚えきれない、体重と年齢だけを短期記録してパソコ
ンに入れてみました。
皆さん「2キロ減ったとか3キロ太った」とかいいます
が、一日に数回計ると最大と最小値の幅は、2キロから
3キロあります。これはつまり、タンク(胃袋)の残量
を計測しているだけのことだったです。
ところがその2、3キロの幅のままで全体の傾向が少し
ずつずれてきました。ただ、数字を覚えておいて転記す
るという作業です。とりたてて運動もせずに。現在の体
重は62、3キロです。踏み台昇降運動効果となったの
でしょうか。
それとも短期記録活動が影響したのか。家人は体重計に
乗っても記録をしていませんので増減は不明ですが見か
けで分ります。
そして、わたしは、
ここに一つの真実を見出しました。つまり、「家族体重
総量は不変である」という法則です。へっへ。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
※住所※
※電話番号住所※
※氏名※
※メールアドレス※
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■昭和館サイト■ 奥会津昭和館
公開時一部伏字と、引用記事以外の本文文章を若干改竄しました。
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■恵比壽塵報(略称/恵比塵☆YEBIJIN)発行処:澁谷区恵比壽/日知網内■
■恵比壽塵報■ http://www.kkjin.co.jp/yebi_jin/
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[10/12/27]
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■[恵比壽塵報]108号:本日のFNNスーパーニュース・会津大雪
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本日(27日)のFテレビ・FNNスーパーニュース
本日のFNNスーパーニュースで、奥会津昭和村の画像が放映
される予定です。
会社に電話が入った。非通知である。またかい!とブスッとして「ハイ」と
だけ応答した。
先方は、某テレビ報道局のI氏と名乗る。今度は広告屋かい!とつっけん
どんに対応しようとすると、「昭和村の昭和館のホームページのことで」との
こと。
昨日から、大雪で会津の西会津町の国道49号線300台の車の映像は何度
も流れた。が、昭和村の全村停電のニュースはあまり取り立たされていない。
電話がつながりにくい、ブログを発信している方々は停電でPCが使えず発
信が滞っている。携帯電話によるTwitterでの発信も、電池切れの恐れがある。
一部の発信者は、クルマのバッテリーから充電して発信しているらしい。
また、メディアが、その地までたどり着けないからである。
ヘリコプターで雪景色と、雪の量と、交通が混乱したというマクロ状況と、
コンビニのトイレが満杯で、コンビニの棚は空っぽくらいのネタしか流せない
のである。同じ画像しか無いので、トカイモンは飽きっぽいのである。
その奥のローカルな生活情報が発信出来ないのである。
という状況で、今回の某テレビの判断はエライぞ。
かろうじて昭和村の大雪風景を掲載している昭和村の昭和館のHPに着眼し
たのである。このページは、昨日から村内ブロガーの掲載画像を転載している。
それも、トップページの看板を外してまで、「昭和大変」「大雪情報」を発信
しているのである。
実は発信とはいえ、自己発信文章情報はそれほど多くもなく、自己発信画像
情報はゼロである。ブログやTwitter情報を取りまとめているだけなのである。
少し謙遜してしまったが、ま、編集力と解釈できなくもない(笑)
個別には未承認転載ではあるが、知合いの(知合った)方々なので全く他人
の表現物の無断転載ではなく、事前了承はイチオーとれている(と判断してい
る)のである。
当該ブログ掲載者に、事後承諾願いのメールを差上げたが、現在のところ、
無反応状態です。恐らくそれどころではないのです。すみません。
ということで、大メディアに恵比壽塵報が仲介した画像が放映予定となりま
した。どれほどの記事となるかは全然わかりませーん。思い出した人は見てく
ださい(^^;
■奥会津昭和館/茶飲みばなし/年末「会津大雪」
http://www.asahi−net.or.jp/ ̄KD5J−IGRS/chitchat.htm#date110105
でした。
しかし、これでは、恵比壽塵報公開版にならないか・・・
・ ・ お ま け ・ ・
【電話応答備忘】
「昭和町の、」『昭和村です!』「失礼しました、昭和村の、」
「しゅうにしょのブログの、」『集荷所(しゅうかじょ)です!』
【後日談】
そのリアル『昭和館』へも、某テレビ局から電話があったそうです。
ところが話が見えない。いろいろと聞かれて、聴取者のお名前として、
「昭和館のおかみさんとしていいですか?」と尋ねられたので、
「そーだの、出さなくっていー!」と答えたそうです(^^;
【FNNスーパーニュース】

ニュースで放映された集荷所ブログの画像。
これは、仏壇のお燈明用の器なのである。
【関連資料】
集荷所ブログ 村内全域、道路情報、除雪活動の本名敬さん
ブログ別冊 恵比塵−会津大雪_101227 その4−
公開時、追記しました。
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[10/10/16]
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■[恵比壽塵報]107号:奥会津昭和村から『土と平和の祭典』へ2010
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今年の10月1日に開店した奥会津昭和村大芦の「ファーマーズカフェ大芦
家」、
本日のブログをみると、
土と平和の祭典
10月16日(土)晴れ。
明日、日比谷公園(東京)で「土と平和の祭典」が開かれます。
昭和村のNPO法人「苧麻(ちょま)倶楽部」も出展しますので、お近くの方はぜひお出かけください。
苧麻倶楽部が育てた自然米、雑穀、天然きのこを販売します。
「ファーマーズカフェ大芦家」のチラシも置いてありますよ。
(ブログ『ファーマーズカフェ大芦家』より)
日曜日に日比谷公園で『土と平和の祭典』という大イベントが開催されるら
しいのである。恵比壽塵報は同じ沿線(日比谷線)の恵比寿に構えているにも
関わらず、日比谷公園(もよりは日比谷駅)で開催するイベントのことを、は
るか奥会津昭和村から個人の発信する情報で(前日に)知るのである。
・ ・ ・
ここまでお読みになられて、どこかで読んだぞ?と思われた読者諸兄よ。
そうです、「使いまわしだ」というなかれ、これは歳時記記事なのである。
『土と平和の祭典』 http://www.tanemaki.jp/saiten2010
まずは、【にれのき広場】というところの、【12】《にっぽんくらしっく》
という副題の付いているブースを探しましょう(^^;
『土と平和の祭典』は、年に一度、その日、6時間のために、全
国から100を超える多種多様な農家・農的に暮らす方々が集結す
る盛大な『農』のテーマパークです。
((去年のHPの案内文のマゝ)←使いまわし責:恵比壽塵報)
明日、10月17日(日曜日)日比谷公園で10:00から開幕だそうです。
※えっ、歳時記記事って、使いまわしで書くんじゃないんですか?!
※去年の記事はこちら↓で(((^^;
【参考】
■[恵比壽塵報]91号:奥会津昭和村から『土と平和の祭典』へ
http://www.kkjin.co.jp/yebi_jin/index091.htm
■奥会津昭和館/茶飲みばなし/『土と平和の祭典』
http://www.asahi−net.or.jp/ ̄KD5J−IGRS/chitchat.htm#date091019
公開時一部慌てて校正しました。
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[10/10/07]
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■[恵比壽塵報]106号:熊との遭遇
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熊との遭遇
「ホー、ホッホー」
K氏の声である。
道の脇から森の中に分け入る途中で、奇声を発した。
両手をメガホン代わりにして、「ホー、ホッホー」と遠くに向けて何度か発
声するのである。わたしには、文字で表現すると「ホー、ホッホー」と聞こえ
たが、「ッフォー、フォッフォー」と書いた方が近いかも知れない。
K氏が数十年にわたって定点観察をしている大きなブナの木のある森である。
ここには、熊が生息していることが分っている。その為に、熊を驚かさないよ
うに、あらかじめ「森に入るよー」と熊に知らせているのである。
わたし(筆者)は、この森に三度ほど分けいっている。と書けば聞こえは良
いが、実は、同氏が分けいる後ろから、のこのこと付いて行ったのである。
最初に同行させていただいたのは09年9月でした。このときは2人だけで
ある。森の中の旧道の脇にある岩座(いわくら)のそばで「これが熊の糞の跡
です」と説明された。木の葉にうずもれた地面に跡があるのである。が、みる
と少し枯葉以外のモノがあるような気はするが、良く分らなかった。夏場の森
は木の葉と背丈ほどもある笹藪や低木の葉で見通しが効かない。わたしは、落
下するどんぐりが笹の葉や地面の枯葉にに当たる「ガサッ」という音だけでビ
クビクしてしまった。
2度目は、今年の5月、このときには3名。残雪の残る森を固雪渡り(かた
ゆきわたり)をしながら、もう少し森の奥のとなりの沢が見える場所まで足を
延ばした。木々は葉を落として、夏の間の繁茂した藪も雪に埋まっているので、
見晴らしが良いのである。雪上に少し土が着いた形で足跡がある。熊の足跡で
ある。

ブナの森の見晴らしと、熊の足跡
足跡の大きさでどれくらいの熊か(親熊か子熊か、はたまた親子連れか)が
判別でき、雪のぬかり具合と解け具合で通行した時間帯(昼か夜か、はたまた
何時間(日)前か)が判別でき、足跡の間隔(や凹み具合など)でゆっくりと
巡回歩行をしていたのか、何かを追って(追いかけられて)走行していたのか
などが分る。また足跡の土の着き具合で、いずこより来たりていずこへ向かお
うとしていたのかも分るのである。いや、わたしが解かるのではない。山人
(やもうど)なら解かるのである。
3度目は、今年の7月、4名で。K氏が昭和村に来たある客人に村内の地勢
の紹介と歴史的遺跡(痕跡)とをフィールドワークするということを前日にお
聞きして連れて行ってもらった。そのブナの巨木のある森が、紹介コースに入
っていたのである。
そして3度の森行きでは、熊は遠目にも実物を見ることはなかった。勿論、
♪ある日、森の中、クマさんに、出会った。などということもなかった。
『見えないけれど いるんだよ』
この森では、クマの気配、痕跡だけ嗅いだ。
どこかでじっと闖入者が立ち去るのを待っていてくれるのかもしれない。
「ホー、ホッホー」
・ ・ ・ ・
今年は、長雨と猛暑の影響(と森の樹木の周期があるかもしれない)で、奥
会津でも植物は散々である。長年続けてきたいつものサイクルのリズムが取れ
ないのである。その結果、カスミ草などの花々は2週間遅れて咲いて、開花の
最盛期間は1ヶ月も早く終了しそうだという。天候は9月22日までが真夏と
なり、9月23日からはいきなり晩秋となってしまった。
キノコたちは、20日頃迄は気配も見せなかったのに、22日の雨で急に冬
の準備をはじめた。キノコにとって平和な季節は粘菌状のままで、朽ちた木の
中や枯葉の腐植土の中で、アメーバ状にになってのうのうと暮らすのである。
そのキノコ(いや、キノコにはなっていない粘菌類)たちが、冬の準備を始め
るのである。粘菌類の冬の準備とは、次世代となる生物の旅立ちの季節である。
旅立ちの季節とは、粘菌類が何らかの危機感を感じて、雷や大雨がトリガとな
ってキノコ状に変成して、結果として傘の裏に胞子体を生成して、風に運ばれ
たり、動植物に付着して新天地にたどり着き、再び粘菌となって次の季節まで、
半地下系で過すのである。
山の木の実はどうなのだろうか。天候不順で豊作となる木の実はあるのだろ
うか。今年(去年も)は、村内の集落内にも熊が出没しているという。
佐藤泉ちゃんは、
|| お父さん
|| 『熊』が危ないから、
|| 今日の散歩は中止して
|| 下さい。
|| お分かり?あなたが死んだら、店は、、
この画像は、ブログ大芦家より転載しました。
とメモを残して中学校に行った。
父親の心配もさることながら、父親の現在の一番大事なもの(新しく開店す
る店)のことを引き合いにして気づかうのである。
9月23日から、奥会津に来ていた。
25日には大芦で開店準備中の「ファーマーズカフェ大芦家」でお昼でも、
とおよばれとなった。佐藤孝雄君がK氏とわたしを招待してくれたのだ。2人
を一緒に招待してくれたのは、わたし(筆者)はクルマの運転をしないからで
ある。足がない。K氏が時間を見計らって、廻ってくれるのである。前日に携
帯にメールが入った。『11時頃に着予定、晴れたらフィールドワークも予定』
とある。
25日は晴れた晴れとはいえない雨が降るかもしれない曇り空だった。『11時頃にまいります、長靴と傘を用意』とある。
道路から外れた場所をフィールドワークするのだ。
車中では、途中の山の話や、地形と地名の話などを聞きながら、田島町から
長沼勢が侵攻して来て焼き打ちにされた時代の集落の話などを、お聞きする。
この話は、09年9月に博士山の森で聞いた伊達軍の奥会津侵攻の話しや、今
年の7月に折橋のそばのまわりの山(館跡?)の景観の話にもきちんとつなが
っている話なのである。単なる歴史文書に残っている記録だけではなく、その
記録と現在も残る地形と地名のいわれ、そしてある集落では歳の神の祭りを取
りやめた話にまでも。
木地師の跡

そして、村の大先輩が調査した、「木地師の墓跡」にも分け入った。記憶の
森をあるいたのである。まさに、藪を分け入るのである。「これは漆の木、触
るとかぶれるので注意」。安易に入り込むと森の中には熊以外にも危険なモノ
は沢山あります。
Uターンして、その集落に戻る。橋をわたって大芦へと通ずる峠道がある。
その峠にさしかかる手前に、その集落の愛宕山があり愛宕神社の祠が残ってい
るというのです。奥会津のこの村の国道400号沿いには7つの集落があり、
それらの各々の集落に「愛宕山」があるらしいのである。そして、これから出
かける「大芦家」は大芦の中心にある山、やはり愛宕山の中腹にある大山祇神
社の参道(石段)の真下にあるのである。
すこし、先走ってしまった。が、大芦へと通ずる峠道のそばに高台となった
小山がある。やはり石段の参道がある。前回、大芦の大山祇神社の石段は63
段だということを知った。実際に石段を上ったのであるが、63段というのは
自分で数えたのではなく、教育委員会の案内板にそのことが書かれていたので
知ったのであるが。
そこで、今度は石段を数えてみた。ところが微妙な道の傾斜から正式?な石
段の始まりがわからないのである。まさか大芦の大山祇神社の石段の数と一致
するなどということはないだろうが、それらしいところから数えていったら、
70段を越えて74段くらいだった。曖昧なのは、しかたがない、戻りにもう
一度数えればよいのである。

その山頂には、石碑が数個と後から建てたらしい祠があった。K氏は四方を
見渡し、この地は低いが確かに頂(いただ)きの地となっている。違う言い方
だったかもしれないが、どういうことかというと、つまり、連続した地形(不
定曲面)の高度では、この地が最高地となるのである。ま、簡単にいうと、凸
面状地形ということです。
石碑(石灯篭とか石の祠状)は苔むして、長年の風雪の摩擦で磨耗している。
石碑の文字を見慣れている同氏は、「村中、、」「羽染、、」「、、年」とそ
れらの文字を読んでいく。それを聞きながら見ると、確かにそのように読める。
祠の中には、奉納幡(近所の方が人生の節目などに祈願した幡)が並べられ、
白っぽい石像が2体、赤を主とした布の着物で飾られていた。
「これが、オシラサマというものですか?」
「いや、愛宕様なのでオシラサマではありません」
そして、祠の裏側に廻って、なだらかな斜面から、まわりの山々などの位置
関係を確かめていらっしゃったのだ。
と、突然、「わ、熊だ!」
一瞬、何事かと思った。すると、杉林の藪の中を黒い大きな生物が、のその
そのそと、遠方に歩いていく後ろ姿を見たのである。
わたしは、後ずさりしながら慌ててシャッターを切った。しかし、後で確認
してみると、熊は写っていなかった。杉林と藪の風景写真であった。

熊がそこを!(杉ではなくカラマツかもしれません。後で確認のこと)
2人して、早々にその場所は、離れた。
K氏は、先ほどは、わたしに向かっての警告で大きな声を出したが、いたって冷静である。
「大人の熊です。親子連れだったら、向かってきたかもしれません。」
と聞いてから、後で怖くなった。
熊はもう何度も見ているK氏でさえも、「こんなに近くで見たのは初めてで
す」という。わたしは、近くでも遠くでもどちらでも、檻に囲まれていない環
境で生きた熊を見たのは生まれて初めてである。
「5mほどの至近距離、熊が先に気付いてくれたので、事なきを得た」とい
ったことが、当日のTwitterと後日のブログに掲載されていた。
この場所は、集落のすぐそばである。まさかという安心感もあったので警戒
しなかったのかもしれない。また、博士山の森の入口ではするように「ホー、
ホッホー」と声は出さないで入った。儀式ともいえる発声をしなかったのは、
ご近所の方々がその声を聞いたら、「何事か?!」とびっくりされることを慮
(おもんぱか)ったのかもしれません。
わたしは、
「戻りにもう一度数えればよい」
と思っていた石段の数を数えるのを、忘れてしまっていた。
写真掲載につき、先行公開です。
【参考・掲載画像元サイト、資料など】
奥会津昭和館/2009年秋の入口『四里四方散歩』
ブログ別冊恵比塵
5月2日、博士山散策(2010/05月)
大芦家『雪の墓標』上映会へ(2010/07月)
スタディツアー(2010/07月)
9月25日スタディツアー(私設)(2010/09月)
9月25日両原(2010/09月)
9月25日両原フィールドワーク(2010/09月)
第4回スタディツアー配布資料(紙媒体:菅家博昭氏製作)
『木地師の跡を尋ねて』馬場勇吾編著/昭和村教育委員会
「木地師の跡を尋ねて 山中の墓に手を合せ乍ら」
一千年も昔の事、近江の国小椋谷で発祥した木地師は、君ヶ
畑高松御所と蛭谷筒井公文所の氏子として「氏子狩」または
「氏子駈」という帳面に連綿と記録に残されてきた。
木地師は、原木の関係で、同じ処に二十年とか五十年とか住
んでいて、原木が尽きれば次の土地へ引越して行く、という宿
命的な職業を約一〇〇〇年の歴史として持っている。
連綿とながれ続け奥会津にも移住してきたその木地師の住ん
だ跡は今は殆どは墓として諸処に残っている。発祥の地の滋賀
県永源寺町への調査訪問のルポルタージュからたどり古文書と
伝説をたよりにその場所を探して、昭和村に残っている11ヶ
所の地区の全てのお墓の写真と墓碑銘の克明な記録。
《奥会津昭和館/昭和村のあいうえお》より。
・ お ・ ま ・ け ・

(熊との遭遇、迫真の手書き記録)

左は遭遇当日に描いた説明用メモ。右は後日に来客に説明したホワイトボード。
【改訂】
10/10/08 25日の天候誤認。
10/10/08 参考サイトリンクミス訂正。
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[10/09/30]
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■[恵比壽塵報]105号:あるあいづの物語
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ある日、首都圏のFMラジオ、J−WAVEでは、緊急地震速報を受けて、
「福島県で地震が発生しました」。と放送した。緊急地震速報は、震度5以上
の揺れを感じるかもしれない想定地域に速報(合図ですね)を流すらしい。
とすると、これは大きな地震の筈である。
筆者は気付かなかったが、首都圏内の多くの携帯電話にも速報メッセージが
流れたらしいのである。
しばらくして、
《妻より》
Subject: 会津地震4らしい
Date: Wed, 29 Sep 2010 17:14:24 +0900
会津地震4らしいけど、何か情報ありますか。
家電は掛かりにくいし、携帯は電源がはいっていないかつながらないわ。
家電?どうやら固定電話をことをツマの世界では、「いえでん」というらし
いのである。
気象庁のサイトを参照してみた。
地図と概要が載っていたのを流し読みして、
《夫より》
Date: Wed, 29 Sep 2010 17:22:58 +0900
Subject: Re: 会津地震4らしい
午前中と午後5時過ぎにあったらしい。
震源は中通りで、狭い地域らしい。
下郷、田島で震度1とか2。
どや、Webの最新情報だぞ!てなもんである。
《妻より》
Subject: RE: 会津地震4らしい
Date: Wed, 29 Sep 2010 17:32:53 +0900
結構揺れたらしいよ。
来月予定のお客様が今来て、てんてこ舞いなんだって。
予約はどっちが間違えたかな?
妻の実家で、電話がつながらなかったのは、地震のせいではなかったらしい。
それでも「結構揺れた」と書いてある。
県内のローカル新聞サイトを見てみた。
確かに、震度4である。
筆者が参照した、気象庁の最新情報は間違っているのか?
そういえば、今年の猛暑で最高記録を出した地域の一部のアメダスは、蔦が
絡まったりして通気が劣化した機械(つまりメンテナンスをしていない)が見
つかっているというのである。
もう一度、よく見てみると、夕方5時頃の本震の後に余震の情報がどんどん
載っていたのだ。筆者は木を見て森を見ていなかったのだ。
「最新情報が価値ある情報とは限らない。」という箴言(しんげん)を思い
付いたことにして、失敗を棚に上げてしまう自己客観化思考操作をして気を静
めた。
《夫より》
Date: Wed, 29 Sep 2010 17:43:15 +0900
Subject: Re: 会津地震4らしい・続報
余震の最新版を見ていたらしい。
■中通りなどで震度4
気象庁によると、29日午後5時ごろ、県内で強い地震があ
った。震源地は中通り(北緯37.3度、東経140.0度)
で震源の深さは約20km、地震の規模(マグニチュード)は
5.8と推定。
郡山市湖南町、白河市、須賀川市長沼、同市岩瀬、泉崎村、
下郷町で震度4を観測した。
(2010/09/29 17:17) 福島民報
発生日時 震央地 マグニチュード 最大震度
29日12時02分頃 福島県中通り M4.9 震度3
29日17時00分頃 福島県中通り M5.8 震度4
29日17時00分頃 福島県中通り M5.8 震度4
29日17時06分頃 福島県中通り M3.7 震度2
29日17時09分頃 福島県中通り M3.3 震度2
29日17時12分頃 福島県中通り M3.3 震度1
29日17時16分頃 福島県中通り M3.2 震度1
29日17時25分頃 福島県中通り M3.2 震度2
(気象庁サイトより)
予約の日を間違えた(どうも旅館側に非ありですね)お客様は、夕食にあり
つけたであろうか、風呂には入れたろうか。こっちの心配だけで済んだのは幸
いである。
・ ・ ・
後刻のニュースによると、
震源地の天栄村では800人に避難勧告が出たという。福島県では数少なく
なった「村」の一つである。800人を昭和村に置き換えると、村民の半数以
上の住民(昭和村の公式発表人口は、1,574人:平成22年9月1日現在)
に避難勧告である。昭和村の半数以上の数というのは、高齢化率(65歳以上
の人口比率)55.5%で県内2位となった数字に近似してしまうのである。
ちなみに第1位は隣町の金山町(福島県発表:8月1日現在)。よそ事ではな
いのである。
公開時一部伏字と、引用記事以外の本文文章を若干改竄しました。
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[10/08/27]
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■[恵比壽塵報]104号:偏屈郷土愛−ごまめの歯ぎしり−
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8月21日・はれ
姪の結婚式で、福島市に出かけることとなった。
【東京駅新幹線乗場】
(東北新幹線の乗り場に米の宣伝看板があった)
http://yebijin.asablo.jp/blog/img/2010/08/26/121f9e.jpg

|おいしさに感動!
|やまがたの米
|山形米 庄内米 はえぬき・コシヒカリ・ひとめぼれ
という看板と、
|美人を育てる秋田米
|あきたこまち
という看板が縦にならんでいたのである。
これから出かけるのは福島県福島市。東京駅新幹線乗場、ついつい郷土愛が
出てしまった。福島の米の宣伝はどした。宣伝しなくても食うことになるので、
まあよい。
やまがたは少し正直である。「山形米」と「庄内米」と区別している。代表
地域で表現するのはしかたない(しょうない)としても。福島(県)は少しや
やこしい事情がある。やまがたのまねをすると、福島県は変なところで民主主
義を貫くので「福島米」「郡山米」「会津米」となってしまうのである。実は
奥会津出身者としては、福島米とか郡山米は食べないのである。だから「福島
米」と総称されても困るので、福島県の米を代表して、ここは「会津」という
ことで話を続ける。新幹線、通ってないし、、、
会津で米を食べる人は「おいしさに感動!」とか「美人を育てる」などとは
言わない。また、わざわざ「やまがたの米」や「あきたこまち」を自分の金で
買ってまで食べない。自家米の「会津米」があるからである。福島駅を通過す
る人は、飯食って感動しなさい。飯食って美人になる訳ではない。元々の美人
を育てる秋田米ということだぞ。
会津では飯(会津米)を食うのは日常生活である。三度の飯で感動できる旅
人は幸いなるかな、である。会津ではよそ者に対して「自分は美人」などとは
言わないのである。ほとんどのよその人が会津人を見たときに「美人!」と感
じるだけなので、わざわざ「美人を」とは言わないのである。
あー、せいせいした。
という前振りで、ブログ記事引写しでお茶をにごす。
ブログ別冊 恵比塵−姪の結婚式へ−
http://yebijin.asablo.jp/blog/2010/08/26/5309230
でした。
公開時画像付きに変更してみました。
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■恵比壽塵報(略称/恵比塵☆YEBIJIN)発行処:澁谷区恵比壽/日知網内■
■恵比壽塵報■ http://www.kkjin.co.jp/yebi_jin/
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[10/07/28]
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■[恵比壽塵報]103号:御無沙汰の言訳と託言(かこつけごと)(^^;
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まったくご無沙汰しております。
皆様方のご発言は、時々会社のPCで「タイトルだけ」眺めております。
タイトルだけ眺めている理由は、何故かというとWebのブラウズが怖いので
検索も出来ないように、IE機能からJAVAという機能を外しているからで
す。JAVAという機能を外すと、皆様の発言本文が閲覧できないのです。タ
イトルだけ見て想像力(妄想力)を発揮するのも時には楽しいことです。会社
のPCでは決まったHPしか閲覧できないようにしています。ブログも、最近
流行のTwitterというのも勿論見れません。
その反動で、自宅のPCでは、ブログをアップしたり、Twitterという
のもしています。その余波で「恵比壽塵報」メールが開店休業状態になってし
まいました。本末転倒とはこのことです。
それだけしていて、自宅で「E−話」を見ていないのかというと、すみません
自宅のPCのお気に入りに「E−話」を登録していないのです。何故かという
と、今だに自宅のPCは家族が「ちょっと貸して」といってわたしが表示した
ままのブラウザ(IE)状態から、ついつい「お気に入り」を選んでしまって、
「あーた!(もしくは、パーパ!)こんなこと書いてんの?(おいこら!)」
という事態が発生して、外してしまったのです。
ということで、絶対持たない!といいながら、携帯も持ってしまいました。
携帯のメールアドレスは、******@******.**.** です。
ツイッターは、http://twitter.jp/yebijin です。
※「E−話」とは、某氏が主宰中の掲示板のことです。それ以外は「作文」か
もしれません(笑)
公開時一部伏字と、引用記事以外の本文文章を若干改竄しました。
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[10/04/16]
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■[恵比壽塵報]緊急増刊号:「アースデイ東京2010」
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KH氏(かんけひろあき)さんについては、恵比壽塵報はちょくちょく勝
手に引用しております。
そのKHさんが、星野リゾートの竹富島リゾート開発に大反対、強い抗議を
しています。
KHさんの存在が、恵比壽塵報73号「春の『会津学』めぐり」を上梓するき
っかけとなったものです。←ここに及んでも宣伝か!
恵比壽塵報は(少しは)読者あっての恵比塵でありますが、その大きな力は
KHさんあっての恵比塵であります。
4月10日の都内集会から、同氏は全ての予定をキャンセルして、トンボ帰
りで奥会津に戻り機材と資料を準備して翌日には竹富島へ直行。3日間の現地
調査と文献調査の上で、急遽17日と18日の代々木公園、けやき通りなどで
開催される「アースデイ東京2010」で調査結果の発表と署名活動までを決
定しています。
これは、恵比壽塵報の大言壮語ではありません。
これは、同氏の内なる覚悟の行動です。どうぞ、ご覧下さい。
竹富島の蝶の道を守る会(会津)Butterfly road :AZIRA
http://kanke.cocolog−nifty.com/taketomi/
記憶の森をあるく
http://kanke.cocolog−nifty.com/
4月17日、18日は、「アースデイ東京2010」
アースデイ東京2010のサイトはこちら
http://www.earthday−tokyo.org/2010/
では、良い週末を!
【おまけ】
同氏は「けやき通り」25番(35番かも)にいらっしゃるそうです。
迷わないように、同氏の写真が以下に掲載されています(((^^;
ブログ別冊 恵比塵−竹富島リゾート開発は「エコ」か?−
http://yebijin.asablo.jp/blog/2010/04/10/5009508
主筆 「記事になっとらん!」
記者 「締め切り優先ということで」
主筆 「OK!」
公開示、一部をイニシャル表記に変更しました。(検索抑制(^^;)
・ お ・ た ・ よ ・ り ・

(恵比寿支局)
(八雲支局)
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[10/04/12]
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■[恵比壽塵報]102号:2010年首都圏の春
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日曜日の昼下がり、恵比寿の駅ビル内の書店『Y堂』に行った。探し物は見
つからなかったが、目に付いてしまった本があった。とはいえ文庫本である。
「1102円でございます。カバーはどちらにされますか?」
胸に『研修』のバッチを付けている。初々しい季節である。
『Y堂』はカバーをつける時には10色ほどの色の中から、お客様に選ばせ
るのである。こちらは、特に気に入るカバーがあるわけでもないので、右端を
指定する。
1万円と5円を出した。
最近は、コンビニでのお釣を考えた支払をしてしまうことが身についてしま
ったのである。百円玉の持ち合わせがあれば、「1万と百と5円」を出すとこ
ろであったが、あいにく無かった。
書店のレジでは、「1万円入りまーす」などとは言わない。
が、どうやら1万円札の扱い方はいずこも同じらしい。しばらくお待ちくだ
さい、という。カウンターの奥のほうに行って1万円札を納金して、同額相当
の千円札と両替するらしいのである。その奥のほうには、某社の紙幣鑑定機能
付の両替機があるのだ。衝立の隙間からは、監視カメラも覗いていることだろ
う。
ところで昨年末頃から気付いたことであるが、駅構内などで、以前は『防犯
カメラ設置』などと少しおしとやかだったが、最近は『防犯カメラ監視中』と
明示している場所が多い。仕入れたばかりのTwitter用語で言えば、
【監視なう】である。
くだんの初々しい店員が、1万円札を持っていったまま戻ってこないので、
雑念が入ってしまった。しばらくして戻ってきた。
「こちら大きいのが8千円と、」8千円とレシートを受け取る。
「こちら小さいのが903円でございます」と言うのである。
初々しい社会人、おじさんはついつい声を掛けてしまいたくなるのである。
『あのね、大きくないお金は細かいというんじゃないの?』
冗談のつもりも含めていたので、こちらは笑って言ったつもりだったが、研
修中のその若い女性店員(新人社員)の顔は、笑顔を作ろうとしたまま引きつ
った顔になってしまった。
2010年首都圏は春爛漫。奥会津の雪融け頃には新社会人の笑顔もほころ
ぶかな。
【宿題】
「小さい」お金、よくよく考えたら、確かに「小銭」という言い方はありま
すね。これは、お釣を差し出す場面での呼称ではない。持ち合わせがない時に
使う言葉である。
では小銭ではないお金をなんというのだろうと考えたら、わからなくなって
しまった。細かくないお金も「大きい」でいいのだろうか。
(別冊恵比塵−2010年首都圏の春−↓を膨らませました)
ブログ別冊 恵比塵−2010年首都圏の春−
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[10/04/07]
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■[恵比壽塵報]101号:ついついTwitter登録の弁
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つい先々月(だと思う)、田舎への交付金は営利活動にも使用できるという
記事が福島県内のニュースに出た。
その時の記事は、東山温泉で「水ようかんとコーヒーを出す」店を作って、
補助を貰ってとりあえず土曜日の2時間営業してみるという記事だったと思う。
とりあえずの実験に補助金を得たのだ(350万円だと!)。うらやましすぎ
ないか。
その顛末が、4月6日の朝日新聞Webに、載っていた。
結果は、延べ14日営業(通算24時間)して、売上げは約2万円で利益が
出なかったので、4月から続けるのはあきらめたというのです。
その理由は、「にぎわいを作りたくても、観光客が少なくてはどうしようも
ない」。だと!。なんというご都合主義!とプッツンしてしまった。
「しかたがないよね、、」という記事の論調が癪に障ってしまった。
奥会津昭和村では、佐藤孝雄さんは、役場を辞めて、「ファーマーズカフェ
大芦家」を開店準備中である。
補助金などには頼らず、「過疎と言われてオタオタするな」の精神である。観
光客など来ないところである。
彼の覚悟は「観光客がいないのは当たり前、利益は関係なし、誰かが寄ってく
れればよい」。それだけで、生活としての大芦家を始めるのである。
失敗しようと逃げも隠れも言い訳もしないのである。
過疎をいいことに「お客様はお役所(交付金)です」と思っていないか。
おもてなしをするお客様は「観光客だけか!」とついつい過激になってしまう
のである。
そんなことで酒気帯びで腹が立って、訳(仕組み)も判らずに、ツイッター
をはじめてしまった。
こんなことしてていいのか!、と思いつつ、ついつい登録してしまいました。
ついつい登録したが、どうも操作の仕方がわからない。知っている人がいたの
でクリックしてみた。
消そうかと思っていたら1件フォローがついてしまった(笑)ので、発言1件
のままで放置することにした。
明日考えることにしよう。これから明日の境目は寝た振りすることにする。
ついついつーたららった、(流してくだされ)
本記事は、
ブログ別冊 恵比塵−おだてて落とす。−より、転載しました。
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[10/02/2010/02/18]
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■[恵比壽塵報]100号:『火の用心』《からむし織見本市開催記念》
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たくみさんは、農業生活をするために奥様と就学前の2人の子供を連れて、
昭和村に就農しました。ご夫妻とも村の出身者ではありませんが、移住先とし
て昭和村を選んだのです。08年の事でした。そして09年には第三子誕生。
子供は全部女の子です。一番上のたまちゃんは、今年は数え年で6歳です。
たくみさんは、昭和村には昔ながらの風習(年中行事)が残っている事に気
付きました。そのひとつが『ひのようじん』です。
全国各地でも新年にはいろいろな「○○初め(ぞめ)」という行事がありま
す。例えば「買い初め」とか「書初め」とかはよく聞く事で今でもあります。
「書初め」は、安直な辞書で調べてみれば
書初め:一月二日に恵方に向かってめでたい意味の詩歌成句などを書いた
などと記載されています。どこかのコンビニが節分の行事として「恵方巻」
というのを2、3年で全国的に広げてしまいましたが、「恵方」は特別なこと
ではなく昔の行事の所作には元々付いてまわっていたのです。
奥会津には、その書初めのひとつのかたちとして、特にある年齢の子供が
『火の用心』と書いて近所に配ってあるく行事があります。
「なんだってめんげー子めらだこと」
たくみさんが、たまかづ(たまちゃんとかづちゃん姉妹)を連れて外に出る
と、見かけた人は声を掛けます。
昭和村では、子供の数がどんどん少なくなっています。つまり、若い人が少
なくなったのです。もえちゃん(末妹)はまだ歩けませんが、たまちゃんとか
づちゃんは村のどこを歩いていても声を掛けられます。
「なんだってめんげーな、」
「たまちゃんは、なんぼになった?」。
これは、「歳は幾つか?」という問
いかけです。
「はい、こんど6歳になります」。
たくみさんの応答にあわせて、たまちゃんは右手の人差し指を開いた左手の平に添えるジェスチャーもしたかも知れま
せん。
「それはした、こんだの『火の用心』だ」。
「それはした」とは、それは目
出度い、といったほどの感嘆詞のようなものです。
つまり奥会津の『火の用心』の行事というのは、特に6歳になる子供が「火
の用心」と書いて、その紙を近所に配る行事なのです。
たくみさんは、年末に、たまかづを連れてオオハラ堂に行きました。そこで、
筆、すずり、墨や、『火の用心』を書くための用紙を調達しました。とはいえ、
商品として「火の用心用紙」などという完成状態では売っていません。障子紙
や習字用の半紙などを切断して使うのです。その大きさは店の人に教わりまし
た。
そして、親切なオオハラ堂のおばさんは、
「ちゃんと『六才』と書ぐだぞ!」
と、言いました。
『六才』とは『無災』につながるという言霊があって初めて、本来の火の用
心のお札(おふだ・護符)となるのです。
「おらいぇさもまわってくろよー」。
(「火の用心」と書いた紙を)わたしの家にも立寄って(配って)下さい、
という意味です。
昭和村では、近所に6歳になる子供が住んでいるという事態が殆どなくなっ
てしまったのです。正月に家族連れで帰郷したなかの孫や曾孫が、たまさか6
歳だった、というような低い確率でしかなくなったのです。
筆者の子供たちも、昭和村で「火の用心」を書きました。およそ16〜18
年前の「火の用心」です。肝心の年齢が書かれていないのでした。しかし、近
所に配って子供たちはお小遣いを貰いました。
『無災』である事という由来が忘れられてしまってしまいましたが、6歳の
子供の書いた「火の用心」の紙が、護符となったおもかげは残っているのです。
近所や親戚の家を訪ねて「火の用心」を配ります。訪ねられた家では、誰が来
るかはわかっているので、いただく護符へのお礼の金銭やお菓子などを準備し
て待っているのです。
6歳は小学校への就学年齢です。
小学校に入る前に、筆記具の使い方を習わせるという意味もあったのでしょう。
そして、昔は就学年齢ということは別の大きな理由があったのではないだろ
うかと思います。小学校(それ以前の寺子屋とか?)へ入る為の準備として、
幾ばくかの蓄え(現金)が必要となるのです。教科書、筆箱などなど。教科書
などは近所の年長の子供からお下がりしてもらった事もあったことと思います。
およそ50年以上前の頃の『火の用心』のお布施(あがり)は、親が取上げ
たはずです。取上げたとはいえ、その子供のために使ったのです。『火の用心』
は、地域集落内の自然発生無尽講のような行事ではなかっただろうかと考える
のです。
つまり、その年(就学年齢)に、地域内で現金を融通しあう機能をはたして
いたのではないかという見立てです。昔はどの家でも当り前のように子供は沢
山いたので、結(ゆい)のような貸し借り関係の仕組みを作らなくともお互い
様で済まされた(貸し借りの帳尻は結果として一致した)のではないかと思う
のです。
もともとは、護符(お札(ふだ))として宗教者や山伏とか行者とか少し得
体の知れない訪問者だったのかもしれない。そのお布施の方式を、奥会津は年
中行事のシステムとして組み込んだのです。
「火の用心」だけでは単なる注意喚起のお札ですが、6歳の子供しか発行で
きない特別な護符として、かつ、貰う人にも喜んでありがたがっていただくた
めに『無災』をおまじない(仕掛け)を考えついた先人がいらっしゃたのでは
ないか。
近所付き合いで経済問題を前面に出すことなく、思いやりと祈りの風習に遷
移させてしまったのです。それは、お寺のお坊さんとか篤志家とか呼ばれるそ
ういう人が思い付いて根付かせたのではないかと思うのです。
まさに、『火の用心』は奥会津の人びとの心のやさしさと奥ゆかしさをつな
ぎ続けた無形文化財といえるのではないでしょうか。本当でしょうか。
昔、喰丸に坊主さまがいらっしゃった。他所から流れついた坊主さまだった
か、風来の徒でお寺に棲み付かれたのかそのあたりはよく判らない。酒好きの
坊さんだったと聞いたことがあります。「喰丸坊主」と呼ばれていたことも聞
いたことがあります。これはさほどの侮蔑感ではなくむしろ、愛称としてのあ
だ名だったと思います。酔ってどこかの堀(小川)に落ちて亡くなられたので
はなかったか。この坊主さんは、粋狂(酔狂)でかどうかは不明であるが、訪
ねた家で護符(梵字とかそういうものか)を書いて「配れば布施がもらえる」
と、その家の子供へ小遣い代わりに護符を渡してあげたという事を聞いた事があり
ます(気がします)。心優しい、風来の徒の訪れも、ごく狭い地域の生活の潤
滑油としての機能をはたしていたのではないでしょうか。少し話がずれてしま
いました。
この『火の用心』の風習はどこまで広がっていたのかはわかりません。只見
町にもあるらしい。いつごろ始まったのかも知らない。調べていくとおそらく
書けなくなります(笑)。
それで、こんな噴飯ごとを書いていいのか!
ほんとに、すみません。

左は「六才」のない「火の用心」、右は左上に「六才」とある。
左は恵比塵編集部の柱、右は「からむし織見本市」会場。
《付記》
たまちゃんの「火の用心」の現物(本物)は、恵比寿で開催中の「からむし
織 見本市」会場に貼られています。ご覧下さい。恵比塵が仕掛けたほんのさ
さやかなたくらみでした(笑)
※本記事は、《昭和館/茶飲みばなし》に発表した文章をリメーク(使いまわ
し)しました。
※発言部分が、正調の奥会津昭和弁になっていないかもしれません。
※イントネ
ーションを含めて、正しい発声を確認したい人は、直接現地(昭和村)においでください。
公開時一部伏字と、引用記事以外の本文文章を若干改竄しました。
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