植草甚一
My Favorite Things展

リスペクト


ある日 こんなメールが届いた・・・


    Date: Tue, 20 Nov 2007 15:39:47 +0900
    Subject: 植草甚一展
    From: "&T'sDESIGN"

      ご存知かも知れませんが、11月25日まで
      (あまり日がない!)世田谷文学館で
      植草甚一My Favorite Things展を開催しています。

      「甚」つながりではありますが興味ないかも
      知れませんが、先日いってきてなかなかおもしろ
      かったもので、お知らせまで。

      では。

    From: Jin Igarashi
    Date: Tue, 20 Nov 2007 16:35:42 +0900
    Subject: Re: 植草甚一展

       いえ、JJこと植草甚一さんは、学生時代か社会人になって早々のころに、 スクラップブック(コラージュというべきか)の本とか、エッセイとかは好き でした。
       金子光晴(詩人)と並ぶ、若い人に持てたご老人パワーの先駆けのような人 ですね。

       たしか植草甚一氏は、ご自分は本を読んだだけで、「なんとかスクウェアの 角のペンキの剥げた消火栓のところを右に曲がって3軒目にお目当ての帽子屋 があり、いつも上から三段目の帽子を買ってくる」などと、居ながらにしてニ ューヨークの小路巡りなどをしてしまう人でしたよね(^^;

       後で調べて行ってみることにしましょう。
      ありがとうございました。


でかけてみた・・・


    From: Jin Igarashi
    Date: Sun, 25 Nov 2007 19:08:27 +0900
    Subject: Re: 植草甚一展・リスペクト植草甚一

       ご案内をありがとうございました。
       昨日(24日)に出掛けました。缶ビール一リットルでこんなリスペクトに なりました。
      いつもご案内くださるITさんにも世田谷つながりで同報します(^^;



■ベンチには嘔吐しているサルトル青年もいる世田谷あたり■
植草甚一展、蘆花公園界隈散歩


 久しぶりの井の頭線にのる。
70年代中央線文化の発信地吉祥寺には「わだば日本のゴッホになるだ」とは 言わなかったが、棟方志功と同じ青森県出身の和泉君が大学を中退して暮らし ていたのを知ったのは社会人になったばかりのこと。
 田舎から米だけを送ってもらって自炊をしている苦学生の四畳半に、井の頭 線に乗って押しかけては、部屋で朝まで飲んでいた事を思い出す。
 道具を大事に使う和泉君は、洗った筆を整えるのに舌先でぺろぺろと舐めて いた。油絵の具の黄色顔料には、カドミウムだったかの重金属類が入っていた と思う。和泉君はその後どうしただろうか。

 そんなことを思い出しながら、井の頭線に乗った。今日は吉祥寺に行ってみ ようと思ったわけではない。明大前で乗り換えて芦花公園駅に向かうのである。 蘆花とは兄弟で歴史的いさかいを起こした徳富兄弟の蘇峰の弟、徳富蘆花にち なんだ「芦花公園」のある駅である。
 現在は蘆花が、芦花と表現されている。つまらぬ。ローマ字風に書くと、 「ROKA」「LOCA」「ROCKA」「LUCA」なんとなく趣きがある。 世田谷はとにかく平らで広い。あたりまえである。世田谷は昔は全部農地だっ たのである。農地を持つ地主金持ちは鷹揚なので谷町風情のことをしたがる。 時々思いもよらぬ文化的なことをして、時々はそれがあたったり、放っておく とよその人が認めてくれて価値が上がったりする。「金持ち喧嘩せず」とはこ ういう事なのである。
 そうして出来たのが、世田谷美術館であったり、世田谷文学館であったり、 砧公園だったりする、、、。ほんとか。

 ある日OT氏からメモが入った。OT氏は感性の人である。さる外資系の会 社の広報部でデザイン活動などをされていた。その会社は60年代からの世界 文化にも影響を与えた(注:ローマクラブなどの項とかを参照のこと)。さる 外資系の会社もその時代は世田谷原住民と同様に鷹揚なので全世界的な谷町風 情のことをしていた(出来た)のである。OT氏はそんなこと(デザインとか) が大好きだったので、文化的な賞などを受賞する組織には在席していたが、出 世は望まなかった(らしい)。その会社のOBには、そういう感性の人が今で も各地、各方面に棲息していたりする。

 どんどん文章に道草が入ってしまった。どう収めるおつもりや?
 いや、道草の話ではない、植草氏の話題である。そのOT氏のメモ(メール) というのは、11月25日まで、世田谷文学館で「植草甚一My Favorite Things」 展が開催されているというメモであった。わたしも「甚」というそれだけのこ とであるが、「なかなかおもしろかったので」とある。そうなのである、こう いうところが「感性の人」たる所以なのである。なぜかわたしが(も)好きな のかが分かってしまうのである。

 昨今のTVと携帯からの情報受信機しか装備していない人間には「植草とい ったらあの覗き教授か」と思うかもしれないが、そうではない。植草という人 にもステキな人がいたのだよ。彼の名前は、植草甚一。
 推理小説と映画とジャズ大好き人間。宝島など専門誌の主筆だった人である。 「ディテクティブJ」として沸いてくるほどの映画評論を書きなぐり、いつの まにかに「JJ」と通称されることになった。
 何故?、「ディテクティブJ」なら「DJ」じゃないの?という人は、ここ でお付き合いはお仕舞だ。芦花を「LOCA」と書いてみて趣を感じる人種じ ゃなとどうして「JJ」となったかは分からないのだよ。
 とはいえ、かくいうわたしはひそかにその通称のおこりは「甚一じいさん」 「Jin'ichi Jiisan」から来たのではないかと思っている。これは目くじら立 てて抗議してくる熱狂ファンがいるかもしれないので、ここだけの秘密だよ。

 60年代の終わりから70年代にかけて、カウンターカルチャーというか、 サブカルチャーの大流行(はやり)のころに、かっこいいおじいさんとして、 インデーズからいきなり若者のメジャーに登場した。と書いているわたしは、 70年代に昌文社の単行本からしか知らない。あの頃の昌文社はウッディ・ア レンの小説も発行していた気がする。小説?エッセイかもしれない。

 その展示会を見に行ったという話である。

 会場の受付まで行って入場料を支払おうとすると「売店受付で購入してくだ さい」と言われる。売店受付に戻り千円札を出すと「百円無いですか?」と尋 ねられる。真鍋かをりに少し似ているお嬢さん。文学館なのでなんだか知的な 感じがしてオジサンは少しどぎまぎする。「百円出すと何かくれるの?」と笑 いながら百円玉も出す。五百円玉を返してくれた。「お釣り用の百円玉が足り ない」のだそうである。

 印刷物はどうしても飛ばして見てしまう。思ったよりも狭いと感じたのは、 どうしても青山二郎展の印象がまだ残っているからである。ぐるぐると4往復 ほどして一通り眺める。やはり、手書とインク文字はうれしいですね。ヘッド フォン装置が2台ほどあって、植草甚一氏の音声が聞けるらしいが、4往復し ても誰かが聞いているので聞くことは出来なかった。

 本に埋もれたJJの写真は、以前にも本で見ていた。わたしは、会場にその 写真を実物で再現して展示して欲しかった、、、と強く思った。そこにJJの 写真(か、それとも現物のスーツもあったでしょ!)を立て掛けて、観光地風 の顔だけ出す記念写真とか企画は出来ないのかネ。文学館(世田谷)はおっと り鷹揚な金持ちなので、そういう自助努力が足りないのではないか。これなら 千円(税込みで)出してもいいぞ!

 目録を買おうとしたら既に売切れである。いや、売切れの小さなカンバンが あったので、展示目録もあったことに気付いたというのが正確表現である。マ ニアだった訳でもないので市販書籍も絶対に欲しいという気分は湧かない。こ れは、正直表現である。
 パンフレット(A4)をラミネート加工したものを100円で販売していた。 カバンを持ち歩かないので「これを買ったら封筒にでも入れてくれますか?」 と尋ねてみた。よく考えるとどこでも何かで包んでくれるのは当たり前である。 言わずもがなのことを言ってしまった。少し反省する。「ビニール袋(文学館 の文字の入った袋)で」と受付嬢は回答する。「んじゃそれで」。持っていた パンフレットも一緒に入れてくれた。「百円玉が足りないのでしょ」と一言つ けて百円玉を出す。真鍋かをり似のお嬢さんは、ふふと微笑んでくれた気がし た。ラミネート加工が欲しかったのではなくて、お嬢さんと話をしたかっただ けかもしれない。オジサンとはそういうものである。

 ぶらりと外に出ると、帰りの道が分からない。来るときにはきちんと方角付 きの案内板があったのに。こんな公的な敷地の中に低層マンションもある、い いのか。そういえば大通りから入るところの民家風の白塀の蔦の紅葉も見事だ った。
 ぶらりぶらりと歩いていると、ぐえー、ぐえーと音がする。アヒルでもいる のかと思うと、ベンチのある並木道で毛糸の帽子をかぶった青年が嘔吐してい た。世田谷は文学の町である。わたしは、文学文学していたので、ついついゲ ロ吐き青年を見て、サルトルを思い出してしまうくらいに世田谷にかぶれて鷹 揚な気持ちで秋の空の下を歩いた。

 ぶらりぶらりぶらりと、世田谷あたり、2007年晩秋である。

                           /道草JJ


※メール送付時の、誤字脱字は一部校正(構成)しました。
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